STORYの表紙を飾れるんじゃん |
例えば「ご当地携帯ストラップ」みたいな、、、要するに『おみやげ』『記念品』ってやつであるが、私は子供の頃から「旅の想い出」みたいなモノを残すことに違和感があった。
写真にしても、旅先でバシャバシャ撮っている人を見ると「撮ってばかりいないで自分の目でしっかり見ろよ!。(別な意味うざいが)心の印画紙に焼き付けろよ!」と悪態を吐いた(聞こえないように)。印画紙は古かった。デジタル時代、叙情性には欠けるが「心のSDカードに記録しろよ!」であろうか。
賤しいというか、貧乏臭いというか、必死というか、「想い出」を増やすことが目的になってしまっているような気がして「それって、ナンカ、違わねぇか」と“?”が付いてしまうわけである。
であるから誕生日のプレゼントにしても、形として残るものをあげるはタメラワレル。香水とか、使って無くなってしまうものが私は好きだ。
極めて個人的な“偶像”と言ってもいいのかもしれない。
付き合っている間は、キリスト教徒が崇めるイコンのように大切にしてくれたのに、、、別れた途端、「あいつからもらったものだ」と壁に思いっきり投げ付けたり、唾を吐きかけたり、生ゴミと一緒に捨たり、質屋へ持っていき換金したり、まるで666、悪魔のシンボルの如くに忌み嫌う。
腹が立つではないか。
実際には“今、アフリカで倒れた木”と同じで、そんなことをされても私が知る術はないから全然OKなのであるが、私は、根本的にネガティブで、かつ、ネガティブな想像を膨らますのがとても得意であるから、「あの Bitch ならやりかねない」と別れてからもイライラするわけである。
写真に話を戻すと、旅の「記録」を写真として残すのはOKだが、「『想い出』は心の中に」と言うスタンスだ(さっきの別な意味と同じ意味でうざくはある)。
そういったわけで、付き合った女性との写真もほとんど持っていない。、、、だから、私の写っている部分だけビリビリと破かれ棄てられた写真が Bitch のアルバムに残っていたりしたら不愉快じゃん。
ま、これも“アフリカの倒木”ではある。
また不思議なことに、付き合った女性も写真を撮られることが嫌いな人が多かった。ブスだからじゃないの!。私はブスが大嫌いだからブスと付き合ったことはないの!。あっ、一度だけあった(ちょっと、心が病んでた頃)。、、、私と並んで撮っても“絵”にならないというのがその理由かもしれない(ダメじゃん自分)。
しかし、妻は違った。「撮って、撮って、私を撮って」と撮られることが大好きだ。「もっと、もっと、奥まで入れて」と同じぐらい大好きだ(知らないけど、、、知ってるか)。
撮られることが大好きなくせに、現像してもドサッと100円ショップで買ったプラスチック容器に放り込んで一向に整理しない。生理は遅れないのに、整理は遅い(全然関係ない)。
だから「フォトブック」にした。
渡した。
(以下妻の感想)。
「私って可愛いね」
「カワイ過ぎるよね」
「すごくない!?」
「コマーシャルフォトみたい」
「STORYの表紙を飾れるんじゃん」
と、大はしゃぎである。何度も何度も飽きることなく見返している。「可愛いよね……」とニコニコしながら。
、、、、、心底自分が大好きな妻であった。呆れちゃうよね(私は慣れたけど)。