ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945 |
「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945/東京国立近代美術館」へ行ってきた。私は萬鉄五郎の裸体美人が好きで久しぶりに現物を見たかったのと甲斐庄楠音の作品を実際に見たことがなかったので是非見たくて足を運んだ。行く前にHPに解説ページが色々あるので読んでから行くと良いかもしれない。
今日も盛んに描かれ続ける、はだかの人物を主題とする絵画。絵といえば、風景や静物とともに、まずは女性のヌードを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
しかし、はだかの人物を美術作品として描き表し、それを公の場で鑑賞するという風習は、実はフランス、イタリア経由の「異文化」として、明治の半ば、日本に入って来たものでした。以後、これが定着するまで、はだかと絵画をめぐって、描く人(画家)、見る人(鑑賞者)、取り締まる人(警察)の間に多くのやりとりが生じることになりました。
「芸術にエロスは必要か」「芸術かわいせつかを判断するのは誰か」にはじまり、「どんなシチュエーションならはだかを描いても不自然ではないのか」「性器はどこまで描くのか」といった具体的な事柄まで、これまで多くの画家たちが、はだかを表現するのに最適な方法を探ってきました。
今日も広く論じられるこうした問いの原点を、1880年代から1940年代までの代表的な油彩作品約100点によってご紹介します。
最近では、現代美術家の村上隆さんが「模写」したことでも話題になった、黒田清輝の《智・感・情》。謎めいたタイトルの意味は、はっきりわかっていません。明治期の女性にはあり得ない7.5頭身のスーパーモデル体型で、マジメな顔をしてポーズを取っています。
じつはこの作品、「はだかが芸術」であることを、いろんな手を用いて一生懸命強調しているのです。思わせぶりなタイトルも、現実離れした手足の長いスタイルも、そして女性器周辺がつるっとしているのも、「これは芸術なんだから、いやらしいことを考えるなよ」というメッセージを伝えるための工夫なのです。