どうして男って別れても1度やってたからって、また、すぐにできると思うんだろう。 |
私「私は思わないよ」
妻「あなたはね」
私「だいたいやりたくないし、会いたくもないし、思い出したくもない!」
妻「、、、どんだけ酷い別れ方ばかりしてきたんですか!?」
私「あ~~~、ま、そういう見方もできるよね」
妻「、、、ま、分かるような気はするけど」
私「分かるな!。普通。普通の別れ方しかしてません!。ドン引き男みたいに言わないでください!」
私「ま、でも、ちょっと、『すぐにできると思う男心』も分かるような気がするよ」
妻「分からないよ。絶対しませんから!」
私「だって、ほら、1から始めるとするじゃん。そうすると、『映画見よう?』とか『食事しない?』の時点で断られる場合が多々あるじゃん。それに比べて、別れた場合で食事の誘いにOK出されると、その後もとんとん拍子的な?つまり『1度はやっているんだから、やることに関しては、そして食事もOKしたんだから、やることもNOじゃないんじゃないか』的な?、だいたい一緒に映画見たとか食事できた時点で相当に高い確率で、下手を打たない限りセックスへ持ち込めるじゃん。そう考えると、焼け木杭つーか、元の鞘なら収まるつーか(違うか)、昔取った杵柄つーか(もっと違うな)、ほぼ(食事にOKされた時点で)できる!と思うのも道理つーかさ」
妻「『道理』ない!!」
私「ま、ないんだけどね……」
さてここで「純粋な性欲」と「愛するがゆえの性欲」について考えてみたい。「純粋な性欲」とは、もうやりたくてやりたくてしょうがない、誰でもいいからやらせて!である。性欲原理主義と言ってもいい。性欲界のIS・ボコハラムである。
「愛するがゆえの性欲」とは、小心者のインポ野郎たちがほざく訳の分からない理論「好きすぎてできない」と背中合わせな「好きだからしたい」である。つまり純粋にセックスがしたいわけではなく、対象を限定しての性欲である。愛する女性を抱きたい、愛する女性であるから勃起しちゃう、である。
ここで「すぐにできると思う男心」に話を戻したい。これはどう考えても「純粋な性欲」であろう。例えば、目覚めると朝勃ちしており、なんかもうどうしょうもなくセックスがしたい!と思ってしまったとするじゃないですか。でも現在性的リソースが枯渇しているとするじゃないですか。だからと言ってTENGAで我慢できるような状況ではないとするじゃないですか。だからもうどうしてもやりたいわけですよ。as soon as なわけですよ。とにかくセックスなんです。したいんです。「じゃあ、風俗行けよ」とか思うかもしれないけど、風俗じゃないんですね。何回も書いてますが風俗でのセックスはたとえ本番であったとしても金銭の授受が発生する以上、“性行為”ではなく“経済行為”なんですね。で、この期に及んで贅沢かもしれないけど、贅沢言っている場合じゃないことは重々承知していますけど、純粋な性行為がしたいんです!。半分朦朧としながら、いやだって血液は勃起したおちんぽにほぼ集中してますから、思考力が著しく低下した脳で色々と思いを巡らすわけですよ。で、行きつく先が、溺れる者は藁をもつかむつーか、♪別れた人にああった別れた渋谷でああった~とかなっちゃうわけですわ。そうだ!♪恋人同士に戻ってグラス傾けよう!ですわ。これが「そうだ!京都、行こう。」だったら、すでに新幹線のチケット買ってますわ。取りあえず自由席に飛び乗ってますわ。この時点で脳内京都旅行中ですわ。思い通りに京都旅行中ですよ。そんな思考で別れた人に電話したら「今夜食事OK」ですよ。いや、もう、これは、「できる!」と思わない方がおかしい。松岡修造じゃなくなって「できる!」と思ってしまうでしょう。レイムダックなオバマだって「YES, I Can!」言いますよ。ドラッグやってなくなって「SAY YES」ですわ。、、、だからしょうがないのね。で、さ、減るもんじゃないし、広い心で1回やらしてあげて!。別れても好きな人とかじゃないから。純粋な性欲だから。やりたいだけだから、あなたじゃなくたって全然いいんだけど、取りあえず、思いついちゃったから。深層心理的にはでもあなたとやりたかったのかもしれないし。昔の男だから経験人数も増えないじゃん。1回でいいからさ、1回やらしてくれれば治まるから、お願いしますよ、、、。